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新国《西部の娘》鑑賞:2007.4.27最終日 [オペラ生舞台鑑賞記録]


 アンドレア・ホモキ演出の《西部の娘》を見てきました。キャロル・ヴァネスとルチオ・ガッロが出演するということで行ってみようかということだったのですが、残念ながら、キャロル・ヴァネスは、キャンセルしました。
 最終公演、歌手のみなさん、大音響のオーケストラと競い合って、思いっきりオペラしてました。
 《西部の娘》は、1910年が初演、ということは《蝶々夫人》と《トゥーランドット》の間で、どちらにも共通したメロディーも耳につきますが、めったに上演されないオペラになっています。魅力的なアリアがないことと、場面に効果的な演出が至難、ということもあるとか。そのせいかもしれませんが、今回の演出では、台本の時代設定を1850年から、いつなんでしょう、大雑把に現代、人の心が荒廃し希望のない混沌とした世界なんでしょうか、評論家ぶって言えば、それに対比するように整然と並んだダンボール、なんちゃって。私には演出意図はわかりませんが、人が入るくらいの大きなダンボールが、舞台上にうずたかく積まれ、それが話題の舞台でした。数当てクイズをしてもよかったのではないかと思いました。500個くらいはあったのでしょうか。
 このオペラは、1幕は、鉱夫たちのたまり場となっている酒場ポルカ、2幕が、山の中にあるミニーの小屋、3幕は、カリフォルニアの大森林、というように特定されていますが、今回は、全幕場面転換無しで、ダンボールが積み上げてあるという演出なので、1幕は、そのまま、倉庫かなとも思えますが、2幕は、あら、ミニーは倉庫に住んでるの? もしかして、名前もミニーだし、ネズミの化身かしら、なんて想像しました。冗談はともかく、すべて、そのつもりなのか、部分的にそのつもりなのかが、曖昧な演出でした。
 ということで、頭を切り替えて、ダンボールのことは気にしないようにして、鑑賞しました。そうしないといろいろ変なことが目について楽しめませんから。
 オペラ通の方たちの感想も出そろっていますが、演出については賛否両論というよりは、興奮気味な絶賛が目立ちます。私は、賛とか否以前の問題で、アイデア先行で充分に練り上げられた演出ともおもえませんでしたので、シラケただけなのですが。
 本来は、ゴールドラッシュの時代、故郷を離れて暮らすカリフォルニアの鉱山の鉱夫たちですが、今回は、雑多な人種の寄せ集めということで、仕事があるのかないのかもはっきりしませんが、富を求めて故郷を離れて暮らす移民という設定だそうです。演出家は、このオペラが、「カウボーイ・オペラ」としてとらえられているとさかんに言っていますが、それって、私には初耳です。「カウボーイ・オペラ」という意味もよくわかりませんが、そのようにとらえられたくないから、時代を移したということのようです。その時代を忠実に描いた演出の映像を3種類見ましたが、ホモキがテーマと言っている「移住」、「孤独感」、「故郷からの離別」は、充分に伝わってきましたし、アメリカのカウボーイの西部劇とは、感じませんでした。
 そもそもダンボールに意味があるのか、倉庫を表現したいためにダンボールが必要だったのかもわかりません。実は、今回は2回目で、ゲネプロにもお誘いを受けて行きましたが、その時は、全く予備知識なしに、このダンボールの山を見た時は、度肝を抜かれました。そして、休憩後、幕が上がって、椅子から転げ落ちそうになりました。ギャッ、同じじゃん! でも、昨夜は、吃驚も唖然も無し、あのダンボールは一発ギャグみたいなもんです。結局は、演出はおいておいて、とても楽しめました、ということになります。楽しめたんだったら演出が良かったんでしょう、ということにはならないんですけどね。

時代とか場所以外の演出によって変更された部分は次のシーンです。
★流しのジェーク・ウォレス(バリトン)が登場しない。ホームシックにかかったラーケンスが、カセットテープで歌を流し、みんながラジカセの周りに集まって、しんみりと聞く。カーテンコールにソリストが18人出てきたので、実際にどこかで歌っていたようです。
★望郷の念にかられたラーケンスを故郷に帰してやろうと、旅費をカンパするが、誰かがラーケンスに薬を渡す。彼は、それを飲み痙攣して死ぬ。その死体を、無造作に引きずって行く。みんなは何事もなかったようにポーカーをはじめる。
 本当は、鉱夫仲間に旅費をもらい、ありがとう、と言って、喜んで酒場ポルカから立ち去るという、心温まる場面なのですが、田舎に帰って畑仕事をしたい、なんてのは夢なんだから、ホームシックなんかになるあまっちょろいやつが救われる道は死しかないという演出なんでしょうか。
この程度ですかね。なんかもっとありましたかしら?
★相当違和感があったのが、鉱夫たちを、世界各国からの移民に置きかえていて、そのかっこうが説明的で陳腐なんですが、ミニーが、彼らに聖書を読み聞かす場面。

 ミニーを慕って集まってくる男たちが、鉱夫でなく移民に変えることによって、このオペラが生きてくるとも思えませんでした。《西部の娘》は、ミニーとジョンソン、ランスの話で、特にミニーの性格の多様性、心の広さ、やさしさ、思いやり、純愛、激情、によって、このオペラを、演劇的に面白いものにしていると感じました。プッチーニのヒロインの中では、アリアもないし一番知られていませんが、トスカ、蝶々さん,ミミを全部足して倍にしたくらい起伏の激しい複雑で強烈な個性を持ったヒロインだと再認識しました。
 プッチーニにはめずらしく、誰も死なない(ホモキは一人殺しましたが)ということではハッピーエンドですが、手を取り合って走り去るミニーとジョンソンの『さようなら、カリフォルニア、addio!... Addio! 』も悲しい響きですし、残された男たちのすすり泣くような『もう、決して戻って来ないんだね、... mai più... mai più! 』も、男たちの孤独感、喪失感が伝わってきて、この人たちは明日からどうするんだろう...としんみりしました。※平土間5列右よりで鑑賞。
歌手さんへの一言コメント
ステファニー・フリーデ(ミニー):ミニーの起伏の激しい性格をとてもよく表現していました。オレンジ色のつなぎは、似合わなくて気の毒でしたが、そのぶん、胸のあいた、フレアースカートのワンピースと赤い靴が素敵でした。
アティッラ・B.キッシュ(ジョンソン):声も大きいし、役柄的には合っていました。一本調子っていうのでしょうか、全幕同じ着古したフランネルのシャツとジーンズでは、そうなっちゃっても仕方がないかもしれません。
ルチオ・ガッロ(ランス):さすが、存在感もあるし、安心して聴けます。カップッチッリは、この役は、絶対歌わないと決めていたそうですから、魅力的な役ではないようですが、歌ってくれてありがとう。もしかして初役かしら。
公演日程
2007年4月15,18,21,24,27日
【指揮】ウルフ・シルマー
【演出】アンドレアス・ホモキ
【美術】フランク・フィリップ・シュレスマン
【衣裳】メヒトヒルト・ザイペル
【照明】立田 雄士
【舞台監督】大仁田 雅彦
【製作協力】レンゴー株式会社
【合唱指揮】三澤 洋史

キャスト
【ミニー】ステファニー・フリーデ
【ジャック・ランス】ルチオ・ガッロ
【ディック・ジョンソン】アティッラ・B.キッシュ
【ニック】大野 光彦
【アシュビー】長谷川 顯
【ソノーラ】泉 良平
【鉱夫 トゥリン】秋谷 直之 
【鉱夫 シッド】清水 宏樹
【鉱夫 ベッロ】成田 博之
【鉱夫 ハリー】高野 二郎
【鉱夫 ジョー】羽山 晃生
【鉱夫 ハッピー】大森 一英
【鉱夫 ラーケンス】今尾 滋
【ビリー】片山 将司
【ウォークル】三輪 陽子
【ウォーレス】米谷 毅彦
【カストロ】大久保 眞
【郵便配達夫】大槻 孝志



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訃報、ロストロポーヴィチ氏(1927.3.27〜2007.4.27) [ボリス・ゴドノフ]

 チェリストで指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Leopoldovich Rostropovich )氏が、4月27日に亡くなられました。肝臓癌だったそうです。享年80歳でした。
 3月27日の80歳の誕生日には、ロシアの最高勲章が授与され、プーチン大統領主催により、誕生日を祝うガラ・コンサートが催され、病気療養中のロストロポーヴィッチ氏も出席しましたが、体調はよくないようだと報じられていました。そして、数日前に、手術のため再入院 (モスクワの病院)したということでしたが、帰らぬ人となりました。ご冥福をお祈りします。


■以前の記事『RRと指揮者(9)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ』を転載します。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927.3.27〜20074.27 ソ連)

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チューリヒ歌劇場HP進化!《アルジェのイタリア女》初日キャンセル [アルジェのイタリア女/イタリアのトルコ人]

 チューリヒ歌劇場のサイトが、素晴しく進化して、ビデオクリップと音声ファイルがリンクされています。しかもQuickTimeじゃありませんか。まるで私のブログのようだわ。 今、チューリヒで上演中の《アルジェのイタリア女》の公演のビデオクリップと、リンドーロ(Javier Camarena)とイザベラ(カサロヴァ)の歌が聴けますので、ぜひ、ぜひこちらからどうぞ。とまあ、嬉しいことなんですが、ライモンディは、初日をキャンセルしちゃったんです。ですから、ビデオも写真も代役のカルロ・レポーレなんです。本当に残念!無念!です。初日に出演してくれないことには、レビューも写真も無しなんです。
※写真をクリックするとOperaCriticのギャラリーにリンクしています。その他の写真が数枚ありますが、なぜかムスターファの写真が1枚もない! 代役の写真は載せない習慣でもあるのかしら?

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モンセラート・カバリエ(2):ルクレツィア・ボルジア [RRと女声歌手]

♪なんという偶然、一夜にしてカバリエがベルカント歌手として有名になったあの伝説の《ルクレツィア・ボルジア》が聴けます。関心のある方は、ずーっと下の方へどうぞ!(修了しました)
 カバリエ自身の言葉によると『たいした役じゃない役ばっかりで、忙しいだけで埋もれていた時代』、それが、突然終り、国際的な活躍がはじまるきっかけになった公演が、1965年4月、カーネギーホールでの演奏会形式の《ルクレツィア・ボルジア》でした。
 この公演に出演することになった経緯は、マリリン・ホーンが歌うことになっていたのですが、彼女が出産のためキャンセル、そこで、カバリエに出演依頼が舞い込んだのです。

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モンセラート・カバリエ(1):アヴェマリア [RRと女声歌手]

 モンセラート・カバリエ Montserrat Caballéが、注目され、世界の歌劇場に立つようになるのは、32歳と意外に遅いのですが、それまでの苦労話をちょっとご紹介します。


 カバリエは、1933年4月12日、バルセロナで生まれました。父が内戦で負傷後、病弱になったこともあり、貧しい家庭でしたが、両親は、レコードを買ったり、コンサートに行くためにあらゆる節約をするほどのクラシック愛好家でした。8歳の頃から、音楽、ピアノとかソルフェージュを習いに、両親の友人のところにレッスンに通っていました。オペラ歌手になろうと決心したのは、家族の助けになるような収入が得られるのではないかと考えたからだそうです。そこで、学費を払ってくれる人をさがして、バルセロナの大富豪ベルとランド氏の援助を受けて、バルセロナ音楽院に入学します。

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モンセラート・カバリエの"Mein Schatzli" [RRと女声歌手]


 モンセラート・カバリエが、ウィーン国立歌劇場の《連隊の娘》にクラーケントルプ公爵夫人役で特別出演して、歌も披露したことを記事にしたところ、TAROさんから、あのスイスの歌、『「シェツリ」はカバリエ得意の曲で、何かのコンサートのライブ録音で(一度ならず)聴いたことがあります。』というコメントをもらいました。
 そこで、さっそく調べてみました。見つけました! このスイスのヨーデルソング"G'Schätzli,"は、カバリエがリサイタルのアンコールでよく歌っていたものと記述がありました。更に、実際にアンコールで歌っているのも見つけましたので、ご紹介します。

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モンセラート・カバリエ:クラーケントルプ公爵夫人って誰?!? [RRと女声歌手]

 4月12日は、モンセラート・カバリエのお誕生日、74歳だそうです。当日は、ウィーンでドニゼッティのフランス語版《連隊の娘》に出演中で、共演者、観客の皆さんから盛大な祝福を受けたそうです。74歳の数日前の公演の録画がありますので、ご紹介します。
 カバリエは、クラーケントルプ公爵夫人の役です、

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アンナ・カテリーナ・アントナッチ [RRと女声歌手]

♪ビデオクリップを見るには、QuickTime7以上が必要です。ウィンドウズの方はこちらからどうぞ→http://www.apple.com/jp/quicktime/download/win.html
♪edcさんのブログで、コメントで話題になったアントナッチのケイト(蝶々夫人)が見られます(追記2007.4.17)
 フランスのオペラサイト、ODBオペラに アンナ・カテリーナ・アントナッチのインタビューが掲載されています。写真もたくさんあります。昨年末には、コヴェントガーデンで、《カルメン》を歌って話題になりましたし、パリでも《皇帝ティートの慈悲》《ユダヤの女》に出演して好評だったようです。
 アントナッチは、1961年4月5日、フェラーラで生まれ、ボローニャ音楽院で勉強。ボローニャ歌劇場の合唱団員として研鑽を積むと同時に脇役もこなす。1980年代後半に、いくつかの国際コンクールで優勝、頭角を現す。レパトリーは、モンテベルディ、ヘンデル、チマローザから、ロッシーニの諸役、フランスオペラ等、幅広い。
 インタビューの中で、ライモンディについても、ちょっと話題になっています。その部分だけ紹介します。
右上の写真をクリックすると、1991年ローマ、ピド指揮、ウーゴ・デ・アナ演出、ロッシーニ《エルミオーネ》リハーサルのビデオクリップに飛びます。アントナッチ、ウーゴ・デ・アナ、ブレイクが、ちょっと見られます。→削除しました(2007.7.17)

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ルドルフ・ビング(2)1972年引退記念ガラ [コンサート]


♪音声ファイル:1972年4月22日ルドルフ・ビング引退記念ガラコンサートから
《ルイザ・ミラー》ライモンディ(領主ヴァルター伯爵)とプリシュカ(ヴルム)の二重唱"L'alto retaggio....."このコンサートの抜粋CDが発売されていますが、残念ながら、この曲は含まれていません。(HMVのサイトにあります)

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ルドルフ・ビング(1)1970年メトデビュー [RR関連]

 R.ライモンディは、1964年オペラ歌手としてデビュー後すぐにマリオ・ラブロカに認められヴェネチアのフェニーチェ座と5年契約を結び、そこで、舞台経験を積むこととなります。コリーネ、プロチダ、グァルディアーノ神父、メフィスト、フィガロ(フィガロの結婚)、ドン・アルフォンソ(ルクレツィア・ボルジア)、アルヴィーゼ、ドン・ジョヴァンニ、モゼ、ティムール、フィエスコ、シルヴァ、ザッカリア、クレオンテ、フィリッポII、とバスのレパートリーを順調に増やし、1968年にはミラノ・スカラ座にもデビューしました。そして、ルドルフ・ビングの目にとまり、1970年シーズンに出演し、しかも開幕公演で歌ったのです。

 1968年に、メトロポロタン歌劇場の総支配人のルドルフ・ビングがイタリアに新人を捜しに来たんですが、僕の歌を聞くなりメトとの契約を申し込んで来たんです。僕はその時非常に忙しかったので、申し出を受けることができませんでした。しかしビングは諦めずに電話・電報攻勢をかけてきました。・・・・・・1970年に空いた時間ができたもので、メトのシーズン開幕公演に行きました。1970年は僕にとって幸運の年でした。ミラノのスカラ座とニューヨークのメトロポリタン歌劇場という世界の二大歌劇場のシーズン開幕で歌うことができたんですから(ライモンディ談)
「スカラ座の名歌手たち」より抜粋

 ここまでは、いつもの情報ですが、雑誌『TIME』のこの時の記事を見つけました。大成功だった様子が伺えます。開幕公演はヴェルディの《エルナーニ》、シッパース指揮、ベルゴンツィ、アロヨ、ミルンズ、ライモンディというキャストでした。

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