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パヴァロッティが亡くなって10年......"Pavarotti Un'emozione senza fine" (Arena di Varona, 2017.9.6) [パヴァロッティ]

 ヴェローナ野外劇場からパヴァロッティ没後10周年のイベント"Pavarotti Un'emozione senza fine"が開催されました。
 パヴァロッティは、イタリアよりも外国での人気が高かったのですが、ニコレッタ・マントヴァーニ未亡人は、さすがのやり手で、パヴァロッティの死後、財団の運営、ミラノとかモデナの記念館等々、パヴァロッティブランドの確立に奮闘しているようです。パヴァロッティが望んだ方向かどうかは疑問ですが......今回の大規模なイベントも彼女の趣味(オペラには興味がない)、オペラ歌手としてよりも世界の人気者としての側面がおおいに反映されたもののようです。でも、カレーラスとドミンゴが一緒に、それにグリゴーロが出演するので、早朝4時からの放送を楽しませてもらいました。イベント自体は大成功で、テレビでも他番組を押しのけてダントツ1位の高視聴率(平均視聴率26,91%)だったそうです。 第二ブログにも記事があります。

プログラム
司会:Carlo Conti
Ron Howard 映画監督:
 パヴァロッティのドキュメンタリーを制作
verona2017.jpg
1.José Carreras e Placido Domingo: My way →
2.Zucchero:Miserere
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3.Vittorio Grigolo:Tosca”lucevan le stelle” →
4.Fabio Fazio プロデューサー
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5.Placido Domingo, Angela Gheorghiu & Jose Carreras
 Non ti scordar di me    →
6.ros Ramazzotti:Se bastasse una canzone
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7.Andrea Bocelli ローマから:
 La fille di Régiment ”Ah, mes ami” →
8.Rigoberta Menchú Tum リゴベルタ・メンチュウ・トゥム:1992年ノーベル平和賞  
9.Giorgia:Imagine
10.Alessandro Del Piero:サッカー選手
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11.José Carreras:Passione ドミンゴ指揮 →
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12.Massimo Ranieri & Gheorghiu:
 ナポリ民謡 Te voglio bene assaje →
13.Fiorella Mannoia:Caruso
14.Nek Filippo Neviani:Ave Maria
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15.Francesco Meli:
 L'elisir d'amore “Una furtiva lagrima” →
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16.パヴァロッティ財団の若手オペラ歌手6人:
 “La Traviata”から「乾杯の歌」   →
17.ニコレッタさん挨拶
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18.2Cellos:La donna è mobile e ’O sole mio →
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19.Fabio Armiliato:Mattinata →
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20.Vittorio Grigolo, Nicola Piovani指揮:
  romanza ’Lucianò,  →    
  Nicola Piovani作曲 / Franco Marcoaldi歌詞

*youtubeにアップされているビデオの再生リスト:Arena di Verona 06.09.2017 (Raiは、即刻削除なんですが、未だにあるということはイタリア国内からならいいのかも...)

 三大テノールもドミンゴはバリトンに転向、カレーラスはオペラの舞台からは引退してコンサート活動だけ、という現状です。ドミンゴは、バリトンに転向したので、ソロでは歌いませんでしたが、カレーラスの指揮を引き受けていました。
 グリゴーロは、パヴァロッティと13才で同じ舞台(1990.12.13〜1991.1.19)に立ち、とても可愛がってもらっていたとか....マスコミが「パヴァロッティーノ」と呼んでいたとか......そして、パヴァロッティが亡くなる直前に、ワシントン歌劇場で「ボエーム」を歌うためのアドバイスをもらいにモデナの自宅を訪問しています。2008年にシカゴでパヴァロッティ追悼野外コンサートを開催し、4万人の観客が集まったとか......いろいろ不思議な縁で結ばれていますね。

関連記事:
パヴァロッティ没後8周年追悼コンサート (モデナのグランデ広場 / 2015.9.6):パヴァロッティの記事のリンク有り

 ここの写真はほとんどClassicFM.comのサイトから頂いて来たものですが、作曲家のピオヴァーニと司会者の写真に"5. Placido Domingo talks to host Carlo Conti"なんて説明つけてます。今現在訂正されていません。


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パヴァロッティ没後8周年追悼コンサート (モデナのグランデ広場 / 2015.9.6) [パヴァロッティ]

 パヴァロッティの追悼コンサート、第二ブログで取り上げましたが、グランデ広場は、たくさんの人で埋めつくされコンサートは大盛況だったようです。このコンサート、恐らく恒例だと思いますが、子供の頃「パヴァロッティーノ」と呼ばれたヴィットリオ・グリゴーロが参加するのは初めてです。
 コンサート全体(多分)のビデオがYouTubeにアップされました。このビデオ、ちょっと変なんですが、グリゴーロは “Voglio Vivere Così”と“'O sole mio”、パヴァロッティの思い出の映像がいろいろ挿入されています。



・カルメン前奏曲
・10分くらいパヴァロッティ思い出の映像
・若い5人のオペラ歌手、スクーデリア・パヴァロッティ(パヴァロッティ財団選抜)登場
   "Chi è più felice di me" (Matteo Desole, Alessandro Scotto di Luzio, Jenish Ysmanov)
   ドン・ジョヴァンニから”Là ci darem la mano” (Biagio Pizzuti, Elisa Balbo)

 ??ここに突然マッシモ・ラニエリの"Marechiare"が挿入された....
   ”'O surdato 'nnamurato”
・パヴァロッティ映像
・35分 ヴィットリオ・グリゴーロ登場
  「勉強すればプリモになれる…」と言われたとかトスカの話とか....
  “Voglio Vivere Così”
・43分 マッシモ・ラニエリ登場
  パヴァロッティとの思い出話

  歌が突然カットされてるが、前に突然挿入された “Marechiare”でしょうね
・モデナの市長登場
・49分 ヴィットリオ・グリゴーロ “'O sole mio”
・55分 マッシモ・ラニエリ “Perdere l'amore”
・フィナーレ La Traviataから”Brindisi”
・最後は、思い出のパヴァロッティの映像


という流れです。グリゴーロとラニエリの二重唱で"Mamma" を歌ったという記事がありましたが、リハーサルでやっただけのかなぁ.....

グリゴーロとパヴァロッティの関連記事:
「トスカ」で共演
1990年ローマ歌劇場《トスカ》13才のグリゴーロ(羊飼いの少年):パヴァロッティ感激
13才のヴィットリオ・グリゴーロ"パヴァロッティーノ"の新聞記事

グリゴーロは2008年にシカゴでパヴァロッティ追悼野外コンサートを開催、4万人集まったとか...
パヴァロッティ追悼記念コンサートの会場、プログラム、オンライン放送について
パヴァロッティ追悼コンサート(シカゴ ・ミレニアムパーク 2008.7.26) 無事終了

存命中はなにかと話題の豊富なパヴァロッティ、人気者の宿命ですが批判されることも多かった...
関連記事: [パヴァロッティ]
・マジエラ氏 "口パク"告白のパヴァロッティ本★☆天声人語では....
・パヴァロッティの"Nessun dorma" 実は.....レオーネ・マジエラ氏近著で明かす
・パヴァロッティの足跡(2):王様に.. 
・パヴァロッティの足跡(1):王様になる前まで
・パヴァロッティを偲んで 私の一押し映画の一場面
・オペラファンには寂しいパヴァロッティのお葬式でした..
・パヴァロッティ退院
・《天声人語》:パヴァロッティ
・デタァーー!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》

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マジエラ氏 "口パク"告白のパヴァロッティ本★☆天声人語では.... [パヴァロッティ]

pavarotti_magiera
 パヴァロッティの"口パク"と、オーケストラの"ふり"に言及した本、レオーネ・マジエラ著"Pavarotti Visuto da vicino"が届きました。どのように書かれているのか、好奇心に勝てずにクリックして注文してしまいました。写真もいろいろありますが、マジエラ氏の著書は、いつもそうですが、声楽テクニック関係の章もありますので、オペラ歌手を目指す人にも興味深い本かもしれません。
 さて、トリノ冬季オリンピック開会式のことは、「エピローグ」という章に書かれていました。内容は、報道されている通りですが、その頃のパヴァロッティは、新しいことを覚えられないだけでなく、物忘れが激しくなり、なんの病に冒されているのかはわからなかったが、肉体的にもいつも刺すような痛みに苦しめられ、車椅子での生活を余儀なくされるような限界状況にあったということです。マジエラ氏の気持ちとしては、早く引退して欲しいという思いがあったように感じられました。

 「皆さんは、生演奏だと信じていたかもしれませんが、現実にはそうではありませんでした.....」というような書き出しで事実が明かされています。彼自身も指揮の"ふり"をした....と書いています。これで、こんどこそパヴァロッティもコンサートツアーはやめるだろうと信じたが、数日後には4月にブラジルツァーに行くから同行して欲しいと電話がかかってきて吃驚したとか......世界を渡り歩く「さよならコンサート」は、Harvey Goldsmithが仕切っていたようですが、プロモーターのゴールドスミスにとっては、どのような形であれ、トリノ冬季オリンピックの開会式の舞台にパヴァロッティを立たせることは、最高の宣伝になるということだったのでしょう。しかし、親友のために指揮の"ふり"をしなければならなかったマジエラ氏の心中はどのようなものだったんでしょう....

 今回のネット配信されたニュースは、事実だけを伝えるものでしたが、それに対する様々な反応を、様々なブログ、日記、掲示板等で見ることができて、なかなか面白かったです。
 記事では「明かされた...」となっているのが、「暴露」というかなり強烈な言葉になっていたり、「指揮者のレオーネ・マジエラ」が、「マネージャーのレオーネ・マジエラ」になっていたり....
 事実であっても、知りたくなかった...という気持ちの方が多かったようですが、それはそれで普通に正直な気持ちだと思いますが、更にそれを飛び越えて、事実を明かした奴が許せない、悪い、ナニサマだ! 自分の本を売りたいからだろう....とか....おぉ、怖! 知りたくないことを知らされて、八つ当たり、今流行りのバッシング、というところでしょうか。
 この件について、「天声人語」では、『大声で弁護はしないが....』と、次のように書かれています。→天声人語の記事 

 せっかく手に入れた本ですから、私の貧弱な知識では、いつになるかわかりませんが、また、面白いエピソードとかあれば、ご紹介したいと思います。

参考:パヴァロッティのプロモーター:ハーバート・ブレスリン(「王様と私」の著者)、Tibor Rudas、Harvey Goldsmith
※レオーネ・マジエラ関連の記事:
・パヴァロッティの"Nessun dorma" 実は.....レオーネ・マジエラ氏近著で明かす
・RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ
・RRのエピソード:声楽授業(12)ボローニャ音楽院-1-
・ローマの音楽公園Sala Sinopoliでチャリティーコンサート
・ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ
・ビルバオ(2)カップチッリとライモンディ

※パヴァロッティ関連記事:
・パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》3幕☆★VideoClip&MP3
・パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》2幕☆★VideoClip
・パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》1幕☆★VideoClip

・パヴァロッティの足跡:王様になる前まで
・訃報 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935.10.12〜 2007.9.6)
・「パヴァロッティ退院」略歴、ライモンディとの共演等まとめ
・あのジョーン・サザーランドをかつぐ.... 1971年リゴレットVidoClip
・ミルンズ、サザランド、パヴァロッティ、RR《リゴレット》
・《天声人語》:パヴァロッティ
・デタァ!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》
・RRと指揮者(12-a)クラウディオ・アバド"Verdi Requiem"

パヴァロッティの"Nessun dorma" 実は.....レオーネ・マジエラ氏近著で明かす [パヴァロッティ]

Leone Magiera著:Pavarotti. Visto da Vicino すでにご存知かとおもいますが、バヴァロッティ氏、トリノ五輪の熱唱は“口パク”なんて記事がネットニュースで配信されました。
 私の感想は、「あ、そう」ってなもんですし、ああいう状態であれば、当然のことでしょうし、特別言いたいことは何もありませんが、レオーネ・マジエラは、ルッジェーロ・ライモンディの本を書いて下さっていますので、このブログでは、お馴染みさんですし、パヴァロッティのその"Nessun dorma"についても記事にしていますし、やっぱり取り上げないわけにはいかないでしょう.....
※その時の記事:
デタァーー!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》VidoClipあり


 マジエラさんは、パヴァロッティとは同郷で、しかも子供時代には同じ学校に通っていたという親しい間柄でした。世界を渡り歩いた「さよなら公演」では、ピアノ伴奏をしたり、オーケストラの指揮をしたりして、最後までパヴァロッティを支えた親友です。彼の最近の著書『Pavarotti, Visto da Vicino 近くで見たパヴァロッティ』で、この件を明かしているそうです。20年以上前に、すでに『Metodo e Mito:Luciano Pavarotti』という本を書いていますので、パヴァロッティに関しては2冊目になります。日本語訳が出れば、ぜひ読んでみたいです。
 Metodo e Mitoシリーズとして、Mirella Freni と Ruggero Raimondiについての著書もあります。ピアニストで、指揮者でもありますが、多くのオペラ歌手の声楽教師でもあり、特に、パヴァロッティ、フレーニ、R.ライモンディ、グロソップ等が有名です。

※レオーネ・マジエラ関連の記事:
・RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ
・RRのエピソード:声楽授業(12)ボローニャ音楽院-1-
・ローマの音楽公園Sala Sinopoliでチャリティーコンサート
・ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ
・ビルバオ(2)カップチッリとライモンディ
※パヴァロッティ関連記事:
パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》3幕☆★VideoClip&MP3
パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》2幕☆★VideoClip
パヴァロッティを偲んで:ヴェルディ《エルナーニ》1幕☆★VideoClip

パヴァロッティの足跡:王様になる前まで
訃報 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935.10.12〜 2007.9.6)
「パヴァロッティ退院」略歴、ライモンディとの共演等まとめ
あのジョーン・サザーランドをかつぐ.... 1971年リゴレットVidoClip
ミルンズ、サザランド、パヴァロッティ、RR《リゴレット》
《天声人語》:パヴァロッティ
デタァ!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》
RRと指揮者(12-a)クラウディオ・アバド"Verdi Requiem"

パヴァロッティの足跡(2):王様に.. [パヴァロッティ]

3大テノール 世紀の競演  1961年とデビューは遅かったものの、その声と体格の良さで、あっというまに人気オペラ歌手に。一流スターのマネジメントに実績のあるハーバート・ブレスリン("王様と私"の著者)がマネージャーとなり、アメリカでの活動が中心になります。1970年代には、アメリカ全土、世界各地でリサイタルを行い、宣伝,広告によりパヴァロッティの商品価値はどんどん上がって行きました。度を越した劇場外での活動はディ・ステファノからも「我々オペラ歌手は、広告だのマーケティングによって人気を得るべきではない.....」と苦言を呈されるほどでした。
 彼のオペラ出演の「ホーム」もヨーロッパではなくNYメトに移り、35年間で356公演(1968.11.23ボエーム〜2004.3.13トスカ)。メトデビューがほぼ同時期のドミンゴが、現在までで588公演(1968.9アドリアーナ・ルクブルール、指揮を除く)ということですから、この数字でもパヴァロッティが、オペラ以外での活動が多かったのか一目瞭然。ウィーンでは、パヴァロッティ55公演(1963〜1997)、ドミンゴ211公演(1967〜2003)となっています。
 リサイタルの合間に、オペラにも出演して、オペラ歌手としての対面を保ち、パヴァロッティのオペラは、なかなか見られないというので、ますます人気が上がるというブレスリンの戦略だったんでしょうか。メトではパヴァロッティの人気は絶大なもので、ライバル意識を燃やしていたのはドミンゴの方だったようです。ブレスリンはドミンゴの宣伝,広報も引き受けていたそうですが、ドミンゴは、オペラよりコンサートで稼ぐという彼の戦略には乗ってこなかったそうです。
 1980年代に入ってから、「邪道」と言われるような活動を減らし、オペラの公演にも熱心に取り組み、1981年の《イドメネオ》は高く評価されました。
 1990年の《三大テノール》のコンサートによって、人気は世界的なものになり、オペラに関心のない人たちも《三大テノール》は知っているという、《三大テノール》現象が起こり、その後の野外コンサートでは何十万もの観客を動員するほどでした。私生活の影響もあったのか、1997年頃から、オペラの舞台から遠ざかるようになり、2004年、メトでの《トスカ》が、ラストパフォーマンスとなりました。
オペラ、コンサートの公演(主にNYメトとミラノ・スカラ座)
1968年 NYメトデビューまではこちら→パヴァロッティの足跡:王様になる前まで

1969年 ローマ《ロンバルディ》初役 スコット、RR共演 CD
1969年 サンフランシスコ 《仮面舞踏会》初役
1969年 スカラ Maag マスネ作曲《マノン》初役
1970年 NYメト《ランメルモールのルチア》(1970〜72/6公演) RR共演
1970年 NYメト《椿姫》 3公演
1970年 ビルバオ マスネ作曲《マノン》フレーニ共演
1970年 ビルバオ《愛の妙薬》フレーニ共演
1970年 スカラ 《愛の妙薬》
1971年 イタリア歌劇団《リゴレット》初来日
1972年 NYメト《連隊の娘》(1972〜95/26公演)メトでの人気を不動のものにした
1972年 NYメト《リゴレット》(1972〜90/19公演) RR共演
1973年 スカラ 《ファヴォリータ》
1973年 NYメト《愛の妙薬》(1973〜98/49公演)
1973年 シカゴ・リリック・オペラデビュー《ボエーム》
1974年 《ルイザ・ミラー》初役
1975年 《トロヴァトーレ》初役
1975年 スカラ《ボエーム》
1975年 NYメトと来日《ボエーム》NYメト日本公演
1976年 スカラ《ルイザ・ミラー》
1976年 NYメト《清教徒》(10公演)
1976年 NYメト《ばらの騎士》(15公演)
1976年 NYメト《トロヴァトーレ》(1976〜89/26公演)DVD
1978年 シカゴ《トスカ》 初役?
1977年 スカラ 《仮面舞踏会》アバド指揮
1977年 単身来日リサイタル
1977年 サンフランシスコ 《トゥーランドット》カラフ初役
1978年 NYメト《ファヴォリータ》(6公演)
1978年 NYメト《トスカ》(1978〜04/60公演)
1979年 スカラ 《愛の妙薬》
1979年 サンフランシスコ《ジョコンダ》初役
1979年 スカラ《ボエーム》クライバー指揮  DVD
1980年 スカラ《トスカ》小澤指揮
1980年 NYメト《ファヴォリータ》(6公演)
1980年 NYメト《仮面舞踏会》(80〜97/31)映像

1981年若い歌手のコンクールをフィラデルフィアで創設

1981年 サンフランシスコ《アイーダ》初役
1982年 NYメト《ルイザ・ミラー》(1982〜91/13公演)
1982年 NYメト《イドメネオ》(7公演)大成功で本来の形に戻ったと評価された 映像
1983年 映画版《リゴレット》シャイー指揮 DVD
1983年 NYメト《エルナーニ》(10公演)初役 好評 RRと共演 DVD再発売
1985年 スカラ 《アイーダ》マゼール指揮 映像
1986年 NYメト《アイーダ》(1986〜01/10公演)
1986年 北京・天橋劇場《ボエーム》(ジェノヴァ歌劇場招聘公演) DVD
1987年 スカラ《仮面舞踏会》
1988年 サンフランシスコ 《ボエーム》 映像
1990年7月7 ローマのカラカラ ワールド・カップ前夜祭の《三大テノール》コンサートを開催
これにより 『世界のパヴァロッティ』となり、野外コンサートに積極的に取り組む。
《三大テノール》コンサートの発端:
このコンサートは、マリオ・ドラディ(エージェント、マネージャー、プロデューサー)の発案で、カレーラスの復帰祝いと、白血病の財団創設のための資金集めのチャリティーとして、テレビ、レコード会社と共同で企画した。ドミンゴとパヴァロッティもそれに賛同して、協力したイベントで、世界の8億人以上がテレビを見て、大成功をおさめた。しかも、このコンサートのCDの売り上げは、クラシック音楽のジャンルでは驚異的な記録となった。

1991年 ロンドン、ハイドパーク《野外コンサート》 観客動員数約15万人
1991年 NYメト《こうもり》(1公演)
1991年 演奏会形式《オテロ》ショルティ指揮 シカゴ、カーネギーホール
1992年 スカラ《ドン・カルロ》 ムーティ指揮 初役(準備不足で失敗) DVD
1992〜2003年 《パヴァロッティ & フレンズ》モデナ
1993年 ニュヨーク セントラルパーク《野外コンサート》 観客動員数約50万人
1993年 パリ エッフェル塔広場《野外コンサート》 観客動員数約30万人
1993年 横浜アリーナ《野外コンサート》

1993年 NYメト《ロンバルディ》(1993〜94/11公演)
1993年 NYメト《愛の妙薬》来日公演
1994年 NYメト《パリアッチ》(2公演)ドミンゴの《外套》とセット公演
1994年 ワールド・カップ《三大テノール》ロサンゼルス
1996年 NYメト《アンドレア・シェニエ》(11公演)
1996年 ウィーン《アンドレア・シェニエ》(5公演)※ラストパフォーマンス
1996年6月東京国立競技場で「三大テノール日本公演」
この頃から、私生活のゴタゴタが表面化する
1997年 NYメト《トゥーランドット》(6公演)
1997年 NYメト《トスカ》(1978〜04/60公演)来日公演
1998年 ワールド・カップ《三大テノール》パリ
1999年 東京ドームで「3大テノールニューイヤーコンサート」
2002年 ワールド・カップ《三大テノール》横浜

2004年 NYメト《トスカ》※ラストパフォーマンス
自由な動きができず、共演者の支えで立っていたり、撃たれて死ぬところも椅子の上という状態だった

2005年10月12日(誕生日)の引退コンサートに向けて、世界各地で「ファイナル・ワールド・ツアー」スタートさせると発表
日本では、2004年3月31、4月6日(東京国際フォーラム)、4月3日(サントリーホール)と三日間開催
指揮者兼ピアノ伴奏者兼親友のマジエラさんに支えられながらの登場、椅子に座っての歌唱
「ファイナル・ワールド・ツアー」が終了するはずの70歳の誕生日を迎えてもツアーは続けられた
2006年2月11日トリノ冬季五輪の開幕式の大トリで、《誰も寝てはならぬ》を歌う
2006年4月〜《さよならツァー》再開、ボスニアを皮切りに、ウィーン、スイス、フィンランド、ヘルシンキ、イギリス各地、ハンガリー
2006年7月 膵臓腫瘍の摘出手術、《さよならコンサート》ツァー中断
2007年9月7日 永眠

パヴァロッティのレパートリーは約30といわれている。

《ボエーム》《リゴレット》《イドメネオ》《愛の妙薬》《蝶々夫人》《椿姫》《夢遊病の女》《カプレーティとモンテッキ》《連隊の娘》《清教徒》《友人フリッツ》《ロンバルディ》《マノン》《ルチア》《ファヴォリータ》《ルイザ・ミラー》《ばらの騎士》《ジョコンダ》《マノン・レスコー》《トロヴァトーレ》《トスカ》《仮面舞踏会》《アイーダ》 《演奏会形式オテロ》《ドン・カルロ》《パリアッチ》《アンドレア・シェニエ》《トゥーランドット》
参考資料:メトデータベース、ミラノ・スカラ座公演記録、ウィーン国立歌劇場公演記録、雑誌「現代の巨匠たち」、ブラヴォー・ディヴォ、スカラ座の名歌手たち、Wikipedia等
※DVD等があるものは、Orfeoさんとedcさんのブログをリンクさせてもらいました
関連記事:
パヴァロッティの足跡:王様になる前まで
訃報 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935.10.12〜 2007.9.6)
「パヴァロッティ退院」略歴、ライモンディとの共演等まとめ
あのジョーン・サザーランドをかつぐ.... 1971年リゴレットVidoClip
ミルンズ、サザランド、パヴァロッティ、RR《リゴレット》
デタァ!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》
RRと指揮者(12-a)クラウディオ・アバド"Verdi Requiem"

ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ
ビルバオ(2)カップチッリとライモンディ
RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ
ミラノで最初の勉強(2)カンポガッリアーニ先生



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パヴァロッティの足跡(1):王様になる前まで ★☆《清教徒》MP3 [パヴァロッティ]

パヴァロッティの本はいろいろ出版されているようですが、残念ながら、まだ読んでいません。手持ちの資料で歌手になるまでと歌手になってからの公演をまとめてみました。
★1935年10月12日 イタリアのモデナに生まれる。
モデナはイタリアの北西部のエミリア=ロマーニャ(州)のコムーネの一つで、その他に、ボローニャ、フェラーラ、モデナ、 パルマ、 ピアチェンツァ、レッジョ・エミリア、リミニ、ラヴェンナ等、お馴染みの町があります。ボローニャ出身のルッジェーロ・ライモンディが話していましたが、エミリア=ロマーニャはオペラ歌手を多く輩出している地域で、下の地域が低音、上の地域が高音とかなんとか言ってました。
 父は、パン職人で、オペラが好きで、声も良くて、エミリア地方のあちこちの劇場で合唱団員をやっていました。両親、祖母、女兄弟の中で、とても可愛がられて育ちました。天真爛漫(悪く言えば傍若無人)な性格はこのへんから来ているのかもしれません。
 ソプラノのミレッラ・フレーニ(1935.02.27-)とは、母親が同じタバコ工場に勤めていて、そこの保育園で一緒に遊んだ仲だというのは有名な話です。


オペラ歌手の勉強を始めたものの....
★1955年19才で歌手を目指し、アリーゴ・ポーラ(1922- )に師事する。  
パヴァロッティは、子供の頃から、声が良く、教会で歌ったり、友達の前で歌ったりしていました。小学校の先生になるため、師範学校を卒業したのですが、1955年に、参加していたモデナの聖歌隊が、国際合唱コンクール(ウェールズのランゴーレン)で優勝、それを機に、歌手をめざすことにしたのです。母親は大賛成でしたが、父は反対でした。しかし、プロの判断を仰ごうと、地元の有名なテノール歌手でもあり声楽教師であるアリーゴ・ポーラに判定を依頼。アリーゴ・ポーラは、パヴァロッティの才能を見抜き即座に無料で教えることを申し出たのです。

1956年〜 エットーレ・カンポガッリアーニのレッスンを受けることになる。
 パヴァロッティは、2,3年でなんとなると思っていたが、さにあらず。アリーゴ・ポーラは、日本に行くことになり、マントヴァの有名な声楽教師エットーレ・カンポガッリアーニを紹介され、レッスンに通うようになりました。1956年頃だとおもいます。フレーニと一緒に列車で通っていたとか。その時に、ルッジェーロ・ライモンディは、フレーニとパヴァロッティに出会っています。(こちらにそのことが書いてあります)
 フレーニは、すでに1955年地元モデナで、《カルメン》のミカエラ役でオペラデビューしています。パヴァロッティは、その時、合唱団員として出演したそうです。私生活でも、1956年にはレオーネ・マジエラと結婚、娘を出産、一旦家庭に入りますが、1958年には復帰、オペラ歌手として国際的にも認められるようになるわけですから、パヴァロッティの心中は複雑だったでしょうね。
 パヴァロッティは、婚約者のアドゥアと結婚もできないし、今後オペラ歌手としてやっていけるのか不安でいっぱいでした。


ついにチャンスが!
♪1961年4月 レッジョ・エミーリアで行われたアキーレ・ペリ歌唱コンクールで優勝
♪1961年4月29日 レッジョ・エミーリアの劇場でコンクール優勝者によるオペラ公演

 モリナーリプラデッリ指揮《ボエーム》のロドルフォ役を歌いオペラ・デビュー
★この公演を見に来ていた元テノール歌手の大物エージェントAlessandro Ziliani アレッサンドロ・ジリアーニ(1906-1977.02.18)に見出され、契約する。

 これは、本当に幸運な偶然でした。ジリアーニは、頼まれた他の歌手を聴きにこの公演に来ていたのです。しかし、契約したのは、パヴァロッティとだけ。無名のパヴァロッティをパック販売で売り込むことにしたのです。つまり、どこかの劇場がマリオ・デル・モナコを望んだら、デル・モナコを回すが、パヴァロッティにも何公演か歌わせるのを条件としたわけです。こうして、イタリアの地方都市の劇場で歌うことができるようになり、海外にも進出します。
 オペラ歌手として成功している人には、こういう出会いが必ずあるんですね。ライモンディの場合は、マリオ・ラブロカに認められフェニーチェと5年契約、ブルゾンは、コンクール優勝後、そういうチャンスに恵まれず貧乏生活、6年後に、やっとNYメトのルドルフ・ヴィングのオーディションを受けることができて、やっと本格的キャリアがはじまった...ということです。コンクールに優勝しても、その後の仕事には結びつかない場合が多いようですが、パヴァロッティは、本当に幸運だったということですね。こちらの記事スポレート:春にコンクール→秋に舞台が参考になります。
★1961年 26才で、婚約者アドゥア・ヴェローニとやっと結婚
 オペラ歌手としての勉強をはじめたのが遅いので、もっと早くに一人前になりたかったのですが、やっとオペラ歌手として自立できるめどが立ち、婚約期間8年を経て、めでたくゴールイン。彼女がいたから、途中であきらめずに頑張れたということなんでしょうね。
 この幸せなカップル(右写真)には、3女が授かり、パヴァロッティもとても家庭を大事にしていた時期もあったのですが、36年後に結婚生活破綻、人生いろいろ先のことはわかりませんなぁ。

★1962年9月 レッジョでプロとしてデビュー
♪1963年2月24日 ウィーン国立歌劇場デビュー《ボエーム》
♪1963年4月 パレルモでセラフィン指揮《リゴレット》

 パヴァロッティ自身は、本当の意味でのキャリアがはじまったのは、この《リゴレット》から、と語っています。実際に、この公演の後、条件のいい出演交渉がたくさん来るようなったのです。
国際的な活躍の始まり
♪アムステルダム ダブリン
ダブリンの公演はパヴァロッティの第二の転機、世界に飛躍する切っ掛けになりました。観客の中に当時のコヴェントガーデンの芸術監督だったイングペン女史がいたのです。彼女は、次のROHの《ボエーム》で、ディ・ステファノの代役の若いイタリア人テノールを探していました。ディ・ステファノは、土壇場でのキャンセル魔として知られていたからです。「本当に大柄な青年で、高音をひけらかすような歌い方で、少々ステージマナーは悪かったのですが、声は最高でした!」そして、女史は、パヴァロッティにディ・ステファノの代役で1公演だけ歌わないかと申し込んできたのです。
 この公演の二つ目の成果は、グラインドボーン音楽祭に招待され、モーツァルトをはじめて歌ったことです。

♪1963年 コヴェントガーデンに、ステファノの代役でデビュー《ボエーム》
 ディ・ステファノは、プレミエ以外全部キャンセルしたので、無名の新人パヴァロッティが他の全公演を歌い、TVにも出演して一気に人気者になり、再出演を依頼されるほどの大成功でした。
 もう一つの大きな成果は、サザーランドとの出会いです。イングペン女史は、「パヴァロッティは、あなたのレパートリーをほとんど歌えるし、なにより、あなたより背が高いという良さがある」とサザーランドと夫のボニングにオーディションをするように頼み込んでくれたのです。

♪1964年7月24〜8月16日(12公演) グラインドボーン音楽祭
 プリッチャード指揮《イドメネオ》イダマンテ/8月17日は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで上演キャスト詳細

 パヴァロッティは、この時に、pianoで歌うことを学んだと後日語っています。
♪1964年英デッカでオペラ・アリア集を録音、レコード・デビュー
♪1965年4月28日 ミラノ・スカラ座デビュー《ボエーム》
♪1965コヴェントガーデン サザランドと《夢遊病の女》
♪1965 マイアミオペラ/サザランドと《ルチア》アメリカデビュー
♪サザーランドと14週間にわたるオーストラリアツアー 《愛の妙薬》《椿姫》
♪1966年3月25日〜 ミラノ・スカラ座/アバド指揮《カプレーティとモンテッキ》テバルド役

♪1966年 コヴェントガーデン サザランドと《連隊の娘》ハイC9連発で話題をさらう

この高音の"C"は、当時は"B♭"して歌うのが一般的だったが、指揮者のボニングに転調しないで歌ってはどうかと奨められ、自分でも無理だと思ったが、やってみたら出た! ということで、パヴァロッティも自分の声に吃驚したそうです。

♪1966年 ミラノ・スカラ座/ガヴァッツェーニ指揮《リゴレット》
♪1967サンフランシスコオペラ
♪1967年1月16 ミラノ・スカラ座/カラヤン指揮《ヴェルディ:レクイム》

♪1968年3月22 カターニャ/クァドリ指揮《清教徒》26歳のRRと共演
☆歌詞
ライブ:アルトゥーロのアリア"A te,o cara" Tucci,Pavarotti,Protti,RR
当時、このアルトゥーロを歌えるテノールは、現役ではゲッタ、クラウス、 パヴァロッティしかいないといわれていた

♪1968年11月23日 NYメトデビュー《ボエーム》
 「王様と私」を読んだ方はご存知かと思いますが(実は、私は読んでない)、パヴァロッティが、彼を王様に仕立て上げるハーバート・ブレスリンに出会ったのは、1967年頃のようですね。36年間の関係を2003年に解消したということのようですから。この主な公演記録でも分かるように、パヴァロッティは、ブレスリンと出会う前に、カラヤンにも認められ、オペラ歌手として成功の第一歩をすでに踏み出していることが分かりますが、ブレスリンのしたことは、オペラ歌手が課外活動で、資産を増やすお手伝いをしたということにすぎないと思います。つまりは、ファンドマネージャー、パヴァロッティの残した莫大な遺産がそれを証明しているということなんでしょうが、一番笑いが止まらないのは、ブレスリンなんでしょうね。本も読まずに言うのはなんですが、ブレスリンなんかいなくてもパヴァロッティは、パヴァロッティだったとおもいますけどねぇ。
関連記事:
訃報 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935.10.12〜 2007.9.6)
「パヴァロッティ退院」略歴、ライモンディとの共演等まとめ
デタァ!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》
RRと指揮者(12-a)クラウディオ・アバド"Verdi Requiem"

ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ
ビルバオ(2)カップチッリとライモンディ
RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ
ミラノで最初の勉強(2)カンポガッリアーニ先生



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パヴァロッティを偲んで 私の一押し映画の一場面 VideoClip [パヴァロッティ]

パヴァロッティのあの風貌あっての三大テノールだったかがよくわかる映画の一場面。

↑♪VideoClipを視聴するにはQuickTime7以上が必要です(期間限定)。
 過去記事でも紹介しましたが、再度、パヴァロッティを偲んで取り上げてみました。
映画《ベリー・アニー・メアリー Very Annie Mary》のアニーは15才の時に声楽コンクールで優勝、その時の審査員がパヴァロッティという設定なんです。パヴァロッティの追悼にはふさわしい映画でしょ。
左上写真をクリックするとビデオクリップに飛びます
のど自慢のパン屋のお父さん(Jonathan Pryce ジョナサン・プライス)

右上写真をクリックするとビデオクリップに飛びます
町の代表でカーディフのコンクールへ。出し物は"YMCA"でしたが、他のグループと重なってしまいました。さぁ,困ったアニー(Rachel Griffithsレイチェル・グリフィス)たちは........
この映画、NHKBSで一回放送されただけの、幻の名画なんですけど、パヴァロッティの追悼番組で放送する、なんてことはないでしょうね。
※映画の紹介記事はこちら→オペラファンならニヤリ!とする映画(1)ヴェリー・アニー・メアリー


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オペラファンには寂しいパヴァロッティのお葬式でした...VideoClip [パヴァロッティ]

 6日死去したイタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティさん(享年71歳)の葬儀が8日、故郷のモデナ大聖堂で行われた。葬儀にはクラシック界ばかりでなく、U2のボノさんらポップス界のスターたちやプローディ伊首相、アナン前国連事務総長ら各界要人も参列し、世界に慕われた名テノール歌手との別れを惜しんだ。.....栄誉をたたえて、国軍機が編隊飛行するなど、国葬級の扱いとなった。パバロッティさんの遺体が安置されている大聖堂では8日早朝から、市民らが長い列を作り、葬儀が始まるまでに約10万人が弔意を表した。
 多少の違いはありますが、配信されたニュースは上記のようなものです。クラシック界ばかりでなくですって、なにをおっしゃるのやら、クラシック界からの参列者は、それは寂しいものだったんですけど....
 『世界のパヴァロッティ』の葬儀としては盛大なものでしたが、『オペラ歌手』としてはなんとも寂しいものでした。オペラ関係者の参列はゼッフィレッリ、カバイヴァンスカは、ヴェルディの《オテロ》からアヴェ・マリアを歌い、フレーニは、聖堂内のTV中継の席にいて、ボッチェリもオペラ歌手に入れれば、4名ということかしら。オペラファンとしては、なぜ、どうして、という思いで一抹の寂しさを覚えたのは私だけでしょうか。
 パヴァロッティとは幼馴染みで親しかったミレッラ・フレーニも、盛大な葬儀だったが、たくさんの同僚のオペラ歌手の参列がなかったことに言及しています。
 実は、私が、パヴァロッティの葬儀のビデオをチェックしようと思ったのも、ライモンディが参列するのではないかという下心があったからなんですが、残念ながらいませんでした。来ていれば、テレビが絶対に写しますからね。お葬式は急なことですから、それぞれ事情があって出席できないこともありますが、それにしても誰もいないって.......どういうことなんでしょう。オペラ歌手、指揮者がざくざくいると思ったんですけどアテがはずれました。
 やっぱり、長年連れ添った女房を捨てたことが原因でしょうか。元妻のアドゥアさんは、パヴァロッティと同郷で同級生、彼女と早く結婚したくて一所懸命歌の勉強をして、やっとオペラデビューにこぎつけ1961年に晴れて結婚、3女ををもうけ、少なくとも1985年頃までは、仲の良い家族だったわけです。アドゥアさんはオペラ歌手,指揮者のマネージメントもしていたとか。
 パヴァロッティの女好きは奥さんとしても仕方がないと思っていたのでしょうが、堪忍袋の緒が切れたのが、現妻のニコレッタ・マントヴァーニ(当時26才)さんの出現。1996年ついに36年間の結婚生活破綻、いつの時点で正式な離婚が成立したのかはしりませんが、2003年にニコレッタさんとの間に子供が生まれ(男女の双子だったが男の子は死産か出産後すぐに死亡した)、同年12月に正式に結婚。結婚式は、600人を招待しての盛大なものでした。お葬式と違って、結婚式は、双方で招待客を決めるわけですが、ニコレッタさん側の招待客と思われる有名人と、パヴァロッティ側の招待客と思われる有名人を私が独断で勝手にわけてみました。


★ニコレッタ組:
ポップス系歌手:Zucchero, Laura Pausini, Piero Pelù, Edoardo Bennato, Caterina Caselli, Tony Renis
ファッション関係:Alberta Ferretti ,Mara Luisa Trussardi, Roberta Armani

★パヴァロッティ組:
Josè Carreras, Carlo Bergonzi,Ruggero Raimondi, Andrea Bocelli, Lucio Dalla

 なかなか興味深いでしょ。ニコレッタさんは、オペラには無関心だったのではないでしょうか。それにブランド好きなのかしら。パヴァロッティが、アドゥアさんと離婚していなければ、恐らくオペラ歌手、指揮者たちが馳せ参じたのではないかと思います。

 1985年頃、パヴァロッティは、インタビューで次のように語っています。
.....パヴァロッティは、モデナにも12エーカーの敷地に立つ広大な17世紀の館を改造した自宅を構えている。「将来は、一族がみんなそこで一緒に住むことになっています。全員で! こんな時代ですが、私は、一族が寄り添って暮らせるということを証明したいのです」(マテオプーロス著"ブラヴォー ディーヴァ"から)
 おっとっとですね。生前パヴァロッティが親しい人に「私の妻(ニコレッタ)は私を孤独にした」と語っていたとか、「葬儀では、ニコレッタさんとアドゥアさんは同じ席に並んで座っていたけど、決して話をしなかった」というコメントもあります。円満離婚というわけではなかったんですね。フレーニも「パヴァロッティは(亡くなって)彼のアドゥアと再会した....」とか「離婚後は、昔からの友人たちも、ルチアーノにはなかなか会えなくなっていた.....」と語っています。「糟糠の妻」を捨てた当然の結果でしょうが、なんだか気の毒です。
 葬儀は、亡くなった人の人望とか人脈とか影響力で参列者が集まるものですが、喪主によるところも大きいので、クラシック,オペラ関係者の参列が少なかったのは、ニコレッタさんの影響でしょうね。パヴァロッティのご両親が存命でしたら、また違ったかもしれません。
 ところでドミンゴは、葬儀に出席できない理由をコメントしましたが、つまり9日にロサンジェルスオペラでヴェルディのレクエイムの指揮をすることになっていて、8日はリハーサルで行けない、というものですが、確かドミンゴは自家用飛行機を持ってましたよね。絶対不可能というわけでもないですけど、なにしろ、当日来てリハーサル無しでオペラを振ったこともある超人ですから、まあ、そのへんはね。でもこれでドミンゴが出席したら、あらなんで?いつもそつがないわね、なんて言われますよね。それにしてもライモンディはどうして出席しなかったのかしら? 同じイタリア人でパヴァロッティと親しいオペラ歌手といえば、ライモンディしか思い浮かばないんですけど.....テレビも電話もないところで夏休みだったとかかな。

※左の写真をクリックすると葬儀のビデオの抜粋が見られます(フレーニ→カバイヴァンスカ→ボッチェリ→聖体拝領を受けるゼッフィレッリ)
BGMは、ロッシーニの小ミサ・ソレムニス:フレーニ,ヴァレンティーニ・テッラーニ、パヴァロッティ、RR、 マジエラ(ピアノ)
※レオーネ・マジエラについて、パヴァロッティの死亡関連記事で新発見:
パヴァロッティを最後まで支え続けた、指揮者でピアニストで、フレーニの最初の夫兼ヴォーカル・コーチで、パヴァロッティの同級生のマジエラ氏、フレーニがギャウロフと結婚して、どうしたのかと心配していましたが、再婚していました。いつ頃再婚したのかは不明ですが、2番目の奥さんは、ボローニャの産婦人科医Lidia La Marca、二人の間にはEloisaという子供がいます。こちらは円満離婚だったんでしょうね。
関連記事:
訃報 ルチアーノ・パヴァロッティ(1935.10.12〜 2007.9.6)
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パヴァロッティ退院 [パヴァロッティ]

パヴァロッティ引退!ではなくて、退院です。さよならツァーに意欲をみせているようです。
エルナーニ*歌劇最近、膵臓腫瘍が発見され手術をしたことは、オペラファンのみなさんはご存じだとおもいますが、新聞に退院したパヴァロッティの電話インタビューが掲載されたようですので、一部をかいつまんでご紹介します。7月24日付けの新聞で、退院して数時間後の電話インタビューのようですから、退院したのは23日でしょうか。

ニューヨークのセントラルパークに面したパヴァロッティの自宅マンションに電話インタビュー。2週間前に膵臓腫瘍と診断され、手術をして、数時間前に自宅に戻ったばかりであるが、電話口の声は、いつもの豊かな響きの声だったのに驚かされた。もうすぐ71歳(来る10月12日)であるが、癌の摘出という受難を切り抜け、彼の声帯は、良い状態に保たれていることは確かなようだ。
最初の質問は、当然「お元気ですか?」です。
《とても元気ですよ。退院してウチにいるが、とてもいい気分だね》
化学療法のためにドイツにいきますか?
《なんで、ドイツなの、イタリアに帰るよ》
いつですか?
《早くて10日、遅くとも15日のうちには帰りたいが、医師たちが決めるだろう。》
モデナそれともペザロですか?
《まだわからないが、多分ペザロかな。イタリアはすごく暑いそうだけど》
想像する以上に暑いですよ。奥さんのニコレッタと娘さんのアリーチェは今どこですか?
《イタリアにいるよ。私が帰る前に彼女達がこっちに会いに来るかもしれないが、まだなにも計画を立ててないよ。》
それで、歌うことに戻りますか? 世界中を回る計画の《さよならコンサート》40公演の残りはどうしますか?
《私は、歌うことに戻って、ツアーを終わらせたい。いつ復帰するか正確な日を示すことはできないけどね。なぜなら医師達に意見をきかなければならない。しかし、私としては、来年にそれを再開したいと考えている。》


ルチアーノ・パヴァロッティ:
・1935.10.12生
・1961年4月25歳、《ボエーム》でデビュー、チャンスがなかなかこなくて意外に遅いオペラデビューだった。
・2004年3月NYメトで、オペラ最後の公演《トスカ》に出演、68歳でオペラの舞台から引退表明。
・ヨーロッパ、アジア、中東、南米、中央アメリカ、USA、カナダの都市を巡る《さよならコンサート》ツァー、40公演を企画。同年4月に日本で《さよならコンサート》を開催。
・2006年7月膵臓腫瘍の摘出手術、《さよならコンサート》ツァー中断となる。
R.ライモンディとの共演:
パヴァロッティとライモンディは、1958年、21歳と16歳の時にカンポガッリアーニの教室で出会っている。
■1968年《清教徒》カターニャ・マッシモ・ベッリーニ劇場 CD
■1969年《ロンバルディ》ローマ歌劇場 CD
■1970年《ランメルモールのルチア》NYメト
■1971年《リゴレット》NHKイタリア歌劇団、東京文化会館
■1972年《リゴレット》NYメト
■1980年《ロッシーニ:小ミサ・ソレムニス》録音 CD
■1980年《ヴェルディ:レクイエム》サン・ステファノ教会、パルマのドゥオー
 ビデオクリップ(サン・ステファノでのリハーサル)
■1983年《エルナーニ》NYメト 写真左上)DVD
パヴァロッティ関連記事:
2006-02-14記事《天声人語》:パヴァロッティ
2006-02-11記事デタァーー!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》
2005-11-08記事ミラノで最初の勉強(2)カンポガッリアーニ先生
2005-08-21記事RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ


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《天声人語》:パヴァロッティ [パヴァロッティ]

本日、14日の「天声人語」にトリノ冬季オリンピック開幕式、パヴァロッティ登場のことが取り上げられていました。
全体的に何がいいたいのかよくわからない文章ですが、かいつまんでご紹介。(昔は、受験には朝日新聞の「天声人語」が取り上げられることが多いということで、受験生がいる家庭では、朝日新聞を取らなければ、というくらいそれなりに権威のあるものでしたが、今は、どうなんでしょうか、、、)

▼70才になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びるときも歌わない.... 。テノール歌手パヴァロッティが、2005年の70才の誕生日(10月12日)を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開幕式に登場して歌った ▼略........ ▼今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12才の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成してからも、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』)▼略........ ▼「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった......ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パヴァロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている▼略........
とまあ、こんな調子です。
最後を、『選手たちは.....それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている。』と締めくくっています。
2006.2.14朝日新聞より抜粋
上記のパヴァロッティの《心境》がなにを言っているのか、よくわからないのですが、素直に読むと自分の健康のことを言っているのかとも思うのですが、、、どうなんでしょう。
2003年の「できちゃった離婚」で、「糟糠の妻」と分かれざるを得なくなった時から、彼の人生も計画通りには行かなくなったような感じですね。プライヴェートなことはいいたくないのですが、、、
《天声人語》でも言及されているように、2005年10月12日70才の誕生日に故郷のモデナで《ラストコンサート》という計画だったようですが、昨年の12月まで上海とかニュージーランド等各地でコンサートを行っていますし、また今年の4月〜8月までコンサートを開催することになっているようです。
ライモンディとは、同じエミリア地方出身ということもあり、お互いデビュー前に出会っています。その時のことは2005-11-08の記事にあります。
1970年代にはイタリア各地、日本、NYメトとかの海外公演でも共演していますし、同じ舞台に立たなくても一緒にツァーというのもあります。
その方向性の違いからか、レパートリー上の関係からか、パヴァロッティとの共演は1983年頃までのようです。ちなみにドミンゴとは1996年にも共演しています。
なにはともあれ、その美声と人好きのする魅力的な個性により、世界中でパヴァロッティの人気は絶大なもので、ドミンゴが嫉妬するくらいだったようです。
オペラ歌手の引退時期は様々ですが、最終的には劇場からオファーが来なくなった時でしょうか。ライモンディは、「舞台が楽しく感じられなくなったら引退する」と言っています。パヴァロッティは、動けませんから、オペラは引退ということですが、歌うのが楽しくて、延々ツァーを続けているのでしょうか。70才の誕生日で終わるはずだったのに、健康上の問題で、のびのびになってしまったということでしょうか。いずれにしろ、今回の開会式で、立ったままとはいえ歌声が聴けたことは嬉しい吃驚でした。元気で今後の計画をこなして欲しいものです。

参考:
2005-05-31 の記事《RRと指揮者(12-a)クラウディオ・アバド"Verdi Requiem" 》では、1980年のパヴァロッティが見られます。この頃は、髪の毛も眉毛も自然にそのままだったんですね。
◇2004年3月6,10,13日 NYメトさよなら公演「トスカ」
この時すでに自由な動きができず、共演者の支えで立っていたり、撃たれて死ぬところも椅子の上という状態だった
◇2005年10月12日(誕生日)の引退コンサートに向けて、世界各地で「ファイナル・ワールド・ツアー」スタートさせると発表
ちなみに日本では、2004年3月31、4月6日(東京国際フォーラム)、4月3日(サントリーホール)と三日間開催された。指揮者兼ピアノ伴奏者兼親友のマジエラさんに支えられながらの登場、椅子に座っての歌唱
◇2006年2月11日トリノ冬季五輪の開幕式の大トリで、《ネッスンドルマ》を歌う。関連記事
◇2006年4月〜8月《さよならツァー》再開、ボスニアを皮切りに、ウィーン、スイス、フィンランド、ヘルシンキ、イギリス各地、ハンガリー

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デタァーー!パヴァちゃん&マジエラさん《冬季オリンピック開幕式》 [パヴァロッティ]

開けてびっくり玉手箱!でしたね。オペラハウスさながらの赤い幕がゆっくり開くと、あれぇーー! お久しぶりぃ、元気だったのねぇ、、
オペラファンにとっては、ちょっと嬉し恥ずかし複雑な気持ち。だって、最初に思ったのが、自分で立っているのかしら、、、ということなんです。
ご覧になった方も多いと思いますが、やっぱり、、です。
幕が開いたときから、そこにいましたし、一歩も動きませんでした。床までのながーーいマントを着ていたということで想像して下さい。マジエラさんは、とても若々しくお元気そうでした。70そこそこですからそれが当たり前なんでしょうけれど。
まだ、お二人で、さよならツァーで世界を回っているのでしょうか。どうせなら、フレーニにも出て欲しかったですね!
アッ、歌ったのは、"ネッスンドルマ"です。

2005-08-21の記事で、パヴァロッティと指揮者のマジエラ氏についてちょっと書いていますので、参考にどうぞ。


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